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2013年09月30日

スタッフの手帖 No.49(毎週月曜日更新)

はじめまして!
コミュニティおきなわの補助研究員の村田ゆうこと申します♪

大学で「沖縄の歴史」を勉強している学生です。

スタッフの手帖 No.49(毎週月曜日更新)

写真奥の黄色い服を着て、みんなに説明をしているのが私です。
歴史舞台に足を運んで学生・社会人に歴史ガイドをするサークルを立ち上げ、活動しています。
(※ちなみに写真に写っている史跡は読谷村の泊城公園内です。)


歴史学を学んでいると、さまざまな地域の日常や風景からその地域の姿をついつい調べてみたくなります。

たとえば!!!

コミュ二ティおきなわのオフィスがある西原町は昔、どんな風景が広がっていたのかな?

西原町にはむかし、どんな人たちがいてどんな出来事があったのかな?

西原町のお祭りの由来ってなんだろう?

西原町に伝わる伝説の舞台はどこにあるんだろう?

西原町に昔からあった建物は今どうなっているのだろう?などなど・・・・


今回コミュ二ティおきなわで少しでも歴史学的視点や今までの経験を活かすことが出来たらいいなと思います♪

ここで、西原町の面白い歴史小話をひとつ。


みなさんは島くとぅばで東西南北それぞれなんて発音するかご存じでしょうか?


東は(あがり)と発音します。有名なことばのひとつとして【東廻まーい】なんていう行事もありますね。

西は(いり)

南は(ぱい)

北は・・・(にし)と発音します。
(※沖縄本島、離島各地でそれぞれ島くとぅばに違いはあります。)

そう、北は(にし)と発音するんです。皆さんなにかに気付きましたでしょうか?

なんと・・・・・!西原町って実は(北)の方角に位置する地域なのです!

じゃあどこから見て北の方角に西原町は位置するのか?

沖縄本島の地図を広げてみると…なんと琉球国王が住んでいた首里城に行きつきます。

首里城から見て北側に位置する地域が西原(北原)という場所なんですね。


西原町という地名から琉球王国時代の方角の考え方に結び付く。

歴史って奥が深いですね~。

以上が補助研究員・村田の初投稿でした。

今後ともよろしくおねがいします。


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Posted by コミュニティおきなわまちづくり株式会社 at 09:55│Comments(0)■スタッフの手帖
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